どんな学食も、母の弁当には敵わない。

自分が高校生のころ、ときどき母の作ってくれた弁当を残した。
理由は簡単である。嫌いなものが入っていたからである。
今にして思えば、なんという親不幸であったことか・・・・
母は、毎日、自分が中学校から高校を卒業するまでの6年間、一日も休まず弁当を作ってくれた。自分が風邪で学校を休んだ日も、自宅で弁当を食べた。

いま、私立では「食育」を推奨するところが多い。
この「食育」を担うのは、当然のようにまずは家庭である。
しかし、自分にはちょっと違和感があった。

それは、「食育」は新しいのではなく、回帰だということである。
自分の子供のころの母の弁当はまさに「食育」であった。
栄養のバランスを考えればこそ、自分の嫌いなおかずもはいっていたし、自分に対する愛情があればこそ、一日も欠かさず弁当を作ってくれた。

つまり「食育」の原点とは、昔の普通の家庭の愛情に溢れた食事ではないか。
私立には素晴らしい学食を持っている学校がある。
しかし、どんな立派な栄養のバランスのとれた素敵なメニューも、母の手作りにはかなわない。
ご家庭によっては、お仕事の都合で子供の弁当を作りたくても、その時間的余裕がないご家庭もあろう。
その際には学食を使うこともあろう。
それはそれでやむをえないことは理解している。

しかし、「食育」とは、シンプルに親に感謝し、親のありがたみを学ぶ機会である。
時にはインスタントもあろう。
時にはスーパーで買ってきた惣菜もあろう。
ようは、そのひとつひとつに子供に対する愛情を込めたかどうかである。

最近多く発生する「幼児虐待」は、ほとんどの場合、食事を与えないといった虐待が含まれている。
強引なこじつけかもしれないが、食事ほど子供に対する愛情表現はないのではないか。
いまだからこそ理解できる。
母がどんな思いで、毎日、弁当を作っていたか。
6人兄弟であった自分は、多い年は4人分もの弁当を、毎日、母は作っていた。

私立に勤めていて、私立の施設面の充実の大切さは当然のように理解をしているし、
立派で素敵な学食があれば、生徒募集に有利なこともわかっている。
そのうえであえて言う。

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